四電工60年のあゆみ
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第2節19H柱での配電⼯事伊豫電気⼯事(株)本店南海電気⼯事(株)室戸営業所ず、またこれに同調しない業者も多かった。そのため正常な経営に至らないまま、1945(昭和20)年8月15日の終戦を迎えた。 太平洋戦争の終結から間もない1945(昭和20)年10月、商工省電力局は、電気工事会社を配電会社の指導下に置き、電気施設の復旧・整備を一体的に邁進しうる体制を整えるため、「電気工事業刷新強化方策」を打ち出した。これを受けて同年11月、四国配電は四国電気工事を解散させ、各県に工事会社を設立して電気工事を委託することを決めた。 この方針に基づき、同年から1947(昭和22)年にかけて「徳島電気工事株式会社」「土佐電気工事株式会社」「高知電工株式会社」「伊豫電気工事株式会社」「香川電気工事株式会社」の5社が設立された。 その後、高知の2社に対しては、四国電力株式会社(1951(昭和26)年、電力再編により四国配電と日本発送電四国支店が統合して発足)が合併を促し、1953(昭和28)年に「南海電気工事株式会社」が発足した。母体4社の誕生高度経済成長期の到来と4社の統合 こうして当社の母体となる4社が誕生すると、1950年代前半には、朝鮮戦争の勃発に伴う特需景気により、業績は上向き始めた。さらに1950年代後半に入ると、日本は高度経済成長期に突入。国民の所得は急上昇し、テレビ・冷蔵庫・洗濯機の家電3品目が“三種の神器”と喧伝される電化ブームも起きた。そうした中、建築設備工事や送電工事の工事量も増加し、各社とも売り上げを伸ばした。 ところが、1960年代になると、四国外の工事業者の進出により、受注競争が激化し、大口工事の受注が厳しくなった。また、4社と進出企業との労働生産性や賃金の格差から、技術工の社外流出という問題も生じた。加えて、4社の経営状況は異なっていたため、四国電力から委託される工事で統一的な 企業として成長を始める

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