四電工60年のあゆみ
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第4章 第1節31四国中央西幹線架線⼯事(愛媛県)平成4年~平成13年 バブル景気は4年5カ月に及んだが、バブル崩壊によって日本経済は1991(平成3)年5月頃から減速し始め、翌1992(平成4)年に入ると不況感はさらに強まった。 当社では1992(平成4)年度後半から受注面での不況の影響が表れてきたものの、同年度は売上高が826億円(前年度比15.7%増)と過去最高を記録した。一方、利益面では、営業利益が35億円(前年度比7.1%増)に上ったが、金利低下の影響を受け、経常利益は44億円(前年度比6.4%減)と6期ぶりの減益となった。 1992(平成4)年6月に就任した今村晶正社長は「厳しい経営環境を迎えているが、全社総力をあげて努力すれば、必ず前途は開ける」と、従業員一人ひとりに一層の努力を求めた。 翌1993(平成5)年4月の組織改正では、厳しさを増す経営環境を乗り切るため、縦割り制(事業部制)を廃止し、四国4県の現場事業所を各支店の傘下に統合した。これにより、支店長のもとでの効率的な業務遂行や、お得意さまに対するスムーズな対応が可能となった。また、本店では配電本部と建設本部を「電力本部」に集約し、「営業本部」との2本部制に移行した。開発事業本部は「開発事業部」に改称した。バブル経済の崩壊 不況に負けないために経営環境の変化と戦略の再構築

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